まだ終わっていない

小説を一冊読み終えました。

小説を読むという行為は大量のエネルギーを消耗します。
疲労困ぱいです。

まだ、新書(入門的教養書やノンフィクションを収めた叢書(そうしょ)のこと)の方が読みやすいし、
資格試験の勉強の方が疲れない気がします。

なぜなら、小説を読むという行為が単なるインプット作業ではないからだと考えます。
物語を記憶しながら、著者がこの表現から何を伝えたいのかを考えながら読むということが肉体的にも精神的にも体力を消耗させるのだと考えます。





以下に、「ヘヴン」(講談社川上未映子著)のネタバレを含みます。


















この物語は恐怖でした。
陰湿ないじめの描写は恐いですがそれだけではありません。
主人公と百瀬の会話は衝撃的でした。百瀬はあまりに論理的でした。
おそらく間違っているであろうことを言っている百瀬に対して、僕は反論することができない。

いや、そもそもこれは議論になっていないから反論も何もないのか。
分からない。
この物語は不思議なことが多い。
だから、恐怖を感じました。

不思議①
「なぜ美術館に来たコジマは泣き出してしまったのか。」

不思議②
「コジマがお母さんを絶対に許せない理由が、最後までお母さんがお父さんを可哀想だと思い続けなかったこと、なのはなぜなのか。」

不思議③
「くじら公園でコジマがあのような行動にでたのはなぜなのか。」

不思議④
「善悪とは何なのか。」

不思議⑤
「主人公が斜視を矯正する手術をして、その後、眼にした光景に涙を流したのはなぜなのか。」


不思議⑤に関しては今現在で答えはだいたい出ていますが、悲しい気持ちでいっぱいです。
でも、もしかしたら、違う解釈ができるかもしれません。

これらの不思議を解決するためにもう一度、小説を読み返そうと思います。

成長の記録になることを願いつつ

はじめまして。おこめと申します。

このブログには僕が日常で考えたこと、感じたことなどを書いていきたいと思っています。

初投稿にあたり、ブログを始めるに至った理由を書きたいと思います。



理由①自分の話す言葉に限界を感じ始めたため

僕は自分の中にあるものを言葉にして誰かに話すことが苦手です。いわゆる、コミュニケーション能力が低いというやつです。
人に対して、どのように話していいのか、分からないのです。
それにより、自分の感じていることが相手に伝わらず、辛く苦しい気持ちになることが幾度となくありました。
しかし、文章ならば、自分の感じていることを自分の理想に限りなく近い形で表現できるのではないかと、最近気づいたのです。


理由②誰かに僕の考えていることを知ってほしかったため

なんとも人間らしいエゴな理由ですね。
僕は人間なのだと感じ、少し嬉しくなりました。

文章を書く媒体として、ブログ、ツイッターフェイスブック、手書きの日記がありました。

ツイッターは文字制限があり、投稿がばらばらになってしまい、後から効率的に見直すことが難しいため、選択肢から除外。(また、ツイッターは僕の中で息抜きの場として捉えています。いずれまた、始めようと思っています。)

フェイスブックは匿名性が薄く、自由な表現が難しいため、選択肢から除外。

手書きの日記は外部に発信することが不可能なため、選択肢から除外。

以上の理由からブログを選択しました。


理由③インプットとアウトプットのバランスが取れなくなってしまったため

僕はしばしば読書をし、そこから情報をインプットしています。
しかし、話すことが苦手でアウトプットをすることが難しいため、情報ばかりが蓄積するようになりました。
中に入れた分、何かしら外に出さないとバランスが悪いと感じました。

アウトプットの方法としては、他にも音楽やスポーツがありますね。しかし、最も手軽に始められるアウトプットの方法が文章を書くことであると感じました。




次に、記事を書いていくにあたり、自分で決めたルールを書きたいと思います。

ルール①誰かが不快になるような表現は避ける


ルールを作りすぎると自由な表現が困難になるのでこれくらいで。後から追加するかもしれません。


このブログが僕の成長の記録になることを願っています。


おこめ